2児の年子をもつ新米数学者によるドタバタ育児日記

就職初年度で早くも2児の親になりました.予測不可能な人生って楽しいですね.

万年筆の不具合

急に万年筆のインク詰まりが発生しました.

 

ペン先を水に浸けて,しばらくの間放置して再度インクを注入してもダメ.
なんというか,インクを入れ替えた直後で文字が書けたとしても,10秒から20秒くらい待つと全くインクが出てこない.
ティッシュを使ってインクフローを無理やり起こせば書けるのですが,それでも10秒程度書かずにいると書けなくなる.
なんでだ!!
痺れを切らして,昨日から一日中水に浸けておいたのですが,やっぱりダメ....

 

ちなみに,ペンはPARKERのソネットプレミアム,インクはTAGの京の音濡羽色です.

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以前,人生で初めて購入したWATERMANの万年筆をたったの三ヶ月で娘に壁に刺されたので,そのとき新調しました.
実は,ペンの細さに極細はラインナップされていないのですが,店員さんにお願いしたら,本店公認で極細にカスタマイズしてくれました!!ありがとう!!!
色はパールなので少し女性っぽいのですが,シンプルだしカワイイから良し.
TAGの京の音シリーズは気に入っていて,秘色萌黄色今様色の三色をカリグラフィーペンで使用しています.
濡羽色は艶のある黒で,気に入っています.

 

話は逸れますが,この万年筆事件は,私にとってはショックでした....
良縁に恵まれて博士修了と同時に大学のアカポスに就けたので,その就職祝いと,より一層の努力を決意するために,人生で初めて万年筆を買ったんです.
決して裕福ではない(家族には失礼ですが,むしろ貧乏)家庭だったので,文房具にこんな大金を払った経験もなく.
だからこそ,「大事に使おう,良いやつはパーマネントに就いたときに買おう!」と思っていたのですが....
朝起きたら壁に....刺さった痕が....
なはぁ....
上の子と同じ部屋で寝ていたのですが,寝かしつけた後,自分が寝るまでは本を読むことを習慣にしていました.
気になるところにはラインを引いていたので,ペンケースも寝室に持っていってたんです....
朝起きたら,目の前で娘が全てのペンのキャップを外し,布団に落書きをしようとしていて...壁には赤いインクが....
あああああああ舐めていた幼児を甘く見ていた!!!!
キャップ外せた!ペン初めて持った!壁はキャンバス!ああ楽し!ってなってたんだろなきっと!!!
壊された万年筆は修理に出し,その日から寝室で読書はやめました.

 

ふぅ,さて.
やっぱり純正のインクじゃないと詰まるんでしょうか?
思えば,TAGのインクを使い始めてから2,3日でインク詰まりが目立ったような.
ティッシュにペン先をつけてインクを滲ませたりしたのがいけなかったのかなぁ....
そもそも,紙のゴミとかがスリットに挟まってるのかなぁ.
インクと万年筆の相性の良し悪しってそんなに出るものなの!?
万年筆初心者だから,良くわかりません....

 

ホント久々に2時間程度まとまった研究時間が取れたのに,テンション駄々下がりでした.
ちょっと考えて,再度ペンを握ると,もうインクが出ない.
くそがああああああ!!!!!!
ようやく!!!!
ようやく研究時間が取れたのに!!!!!!!!!!
なんでこんなときに限って!!!!!!!!!!!!
あああああああもう煩わしいちくしょおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!

 

明日,また純正インクで試してみようかな....
これでダメならペン先に問題有りだよなぁ....
また修理に出すのかぁ,やだなぁ....
万年筆って難しいですね....

育児関連で読んだ本(2)

育児関連で読んだ本を忘備録(備忘録?)として纏め,個人的に面白いと思ったことなどをメモしたり取り止めのないことを書いたりするシリーズ第二弾です.
(こんなの誰か面白いと思って読んでくれるのかしら...)

さて,前回は『私は赤ちゃん』でした:

chisuke0831.hatenablog.com

 今回は,その続編である『私は二歳』(松田 道雄,岩波新書,1961)です.

私は二歳 (岩波新書)

私は二歳 (岩波新書)

  • 作者:松田 道雄
  • 発売日: 1961/03/20
  • メディア: 新書
 

 本文は205ページ,定価は780円+税となります.

『私は赤ちゃん』と同様に,子ども(今回は二歳児)の立場から,叱られることや遊ぶこと,種々の病気など,様々なテーマについて書かれています.
個人的には,「叱るタイミング」,「指しゃぶりとドモリの原因」,「ゴネの利益」,「遊びで養う平等の感覚」の4つのテーマが大変勉強になりました.

本書に出てくる内容の大部分が,著者が小児科医時に診察した二,三歳児にあった実話であるとのことです.
随分と子どもの心情を理解できているなぁと感心していましたが,子ども達の本音が語られているかもしれないわけです.
それがリアリティのある文章へと昇華された理由なのでしょう.

本書の特徴は,「嫁と姑」の関係性が幼児の成長にどのような影響を与えるかに焦点を当てて記述されている章があることです.
小児科医でもある松田先生は,あとがきの中で

そっとふれずにおくよりも,その非合理的な面にできるだけ理性の光をあてて,不和のくだらなさを客観化しておくのが,不和の予防になると思う.小児科医として私は,子どもの人間形成に「嫁と姑」との不和は有害であると信じる.

と述べています.
もちろん時代背景は今と異なるし,しかも京都の姑ということが強調された記述になっていますが,(有害さの)本質が正確に捉えられており,現在にもよくある問題が指摘されています.
必死に姑の生活スタイルを知り,順応しようとしても,姑が求めることが嫁にとっては未知であり,今までの生活で正解だったことが,姑の下では不正解とされてしまう.
覚えるためには,ことあるごとに姑に聞いたり確認したりしなければいけないが,それが煩わしいと思う姑からすれば,もはや自分でやってしまったほうが楽だと思うのだろう.
結局自分で動いてしまい,いつになっても嫁には姑の流儀が身につかない.
そして,普段仕事で外に出ている旦那は,嫁の苦しさに気づけないでいる.
嫁と姑の関係性がどうやらオカシイことに気づいているのは主人公である二歳児のみ.
さて,主人公がどのようなことを考え,どのような行動に出るのか....
気になる方は,ぜひ本書を読んでみてください.

次回は,『子どもが育つ条件ー家族心理学から考える』(柏木 恵子,岩波新書,2008)にしようかと思います.

 

ところで最近,下の子が母乳をあんまり飲まなくなってしまいました.
一度の授乳で4〜5分くらいしか飲みません.
どうしたものか....
これも個性として片付けて良いのでしょうか?
体重さえ増えてくれれば良いのですが....

鼻の中へ納豆が

娘(1歳10ヶ月)の左鼻の中に納豆が入っていきました!!

 

それはいつもと変わらない晩御飯.
「おいしっ!」と言いながら食べていたおかずの納豆.
何かの拍子で鼻と口の間にくっついた小粒のそれを,娘が自らの人差し指で左鼻の奥へと押し込んでしまった夜の6時半.

そんな奇跡あるの!?
申し訳ないとは思いつつ,鼻の違和感に困惑している娘の隣で,妻と二人で笑い転げてしまいました.
でも「いや,豆が鼻の中に入ったらスゴく痛いよな...!?」とすぐに我に返り,鼻から顔を覗いている納豆を取り出そうとするも,娘が必死の抵抗をし,指でさらに奥まで押し込んでしまいました...

「鼻 納豆 入った」で検索したのですが,鼻が納豆臭い病気(?)が出てきてしまい,あまり参考にならず.
でも娘は普段通りに笑顔で走り回っているし,何も問題ないんじゃないか?と甘い考えが過ぎる.
念のため「鼻 異物」と検索すると,色々出てくる.
レゴを入れちゃったとか,虫が入っちゃったとか...
いずれにせよ,奥に異物が落ち込んで気道をふさいだりすると危険だという情報を仕入れ,夫婦に緊張が走る.
ためしに鼻水吸い取り機で納豆を取り出そうとチャレンジするも失敗.
こよりで右鼻を刺激し,くしゃみをさせて取り出そうとするもやはり失敗.

そんなこんなで19時になったため,#8000へ電話するも,15分間繋がらず.
ようやく繋がって事情を説明すると,「丸い納豆ですか?楕円ですか?サイズは?くしゃみで出せませんか?」と聞かれる.
小粒の楕円であり,くしゃみなどは既に試みたものの効果は無かった旨を伝えると,予想通り耳鼻咽喉科の受診を勧められる.
ですよねー.

紹介されたうちの一つの病院に電話して,「娘がかくかくしかじか...」と伝えると,少し不自然な「少々お待ちください...」の返事を受ける.
そりゃ納豆入った1歳児を診てくれなんて普段言われないもんね,笑いを隠すよね.
少し待つとお医者さんに電話が代わる.
「確かに納豆が鼻に入ったはずなのに,普段と変わらず元気そうに動いています.鼻の中には納豆が見えなくなってしまいました.奥に入ってしまったのかもしれなくて心配しています.」と伝えると,「そりゃ見てみなきゃ分からんがな」と.

そうだよねー,と思いつつタクシーを配車.
娘と二人で病院に到着したのが診療時間終了間際.
娘は病院の入り口に着いた瞬間に号泣.
やはり,初めての病院でも雰囲気で分かるようで,どうしても入りたがらなかった.
「先ほどお電話した者です.」と伝えると,受付の人も「あ,納豆の奴だ」と察したのか,すぐにお医者さんのところに案内される.

お医者さんから「どっちの鼻?」と聞かれ,左と答えると「抑えて」と言われ,大人3人がかりで娘を拘束.
一人は頭,一人は足,私は腕.
禍々しい管のようなものが娘の鼻の中に突っ込まれていく.
もちろん娘も必死の形相で抵抗.
「ちゃんと動かないように抑えて!」とお医者さんに怒られながら,必死に娘を抑える.
「あれー,ほんとに左?見えないなぁ」なんて言うもんだから「そんなに奥まで入っちゃったのか...!?」と心配になったけれど,しばらくの奮闘後,「大丈夫,もう無いよ.たぶんもう食べちゃってるよ.」の一言に安堵.

診療時間はたったの5分.
何しに来たんだ,おれ.
タクシーを待ってる時間の方が長かった.
まぁ何はともあれ,大事に至らずに済んで良かったです.

異物が鼻に入った場合,親に怒られるのが嫌だから,痛みや違和感を誤魔化したりする子もいるそうです.
そもそもあまり違和感を感じない子もいるとのこと.
しかし上述したように,異物が気管支とか食道とかに入ると危険なので,ちゃんと専門家に受診した方が良いと思います.
何もなければ,それで良いに越したことはないですから.
みなさんも,納豆の逆襲にはお気をつけください.

そういえば,娘の診療中にふと目線を逸らしたら,額縁に入った学位記が壁に飾られていました.
お医者さんは学位記を飾るものなんですかね,僕も部屋に学位記を飾ろうかしら.

育児関連で読んだ本(1)

読んだ本について簡単に纏め,感想を公開しておくシリーズ第一弾です.
初回は,『私は赤ちゃん』(松田 道雄,岩波新書,1960年)です.

本の紹介

私は赤ちゃん (岩波新書)

私は赤ちゃん (岩波新書)

 

(上のリンク画像はKindle版ですが,私は書籍を2021年1月5日に購入しました.定価は780円+税.本文は189ページ.在庫はまだあるはず!).

この本の大きな特徴は,タイトルから察せられるように,産まれてから1歳半までの成長する「赤ちゃんの立場から親たちに注文する」形で,本文が記述されていることです.
著者である松田先生は,そのあとがきに

赤ちゃんを病気と考えてつれてきた親たちの心配は治療の対象になっていない.(中略.)親の心配の症状論のつもりで書いていった.

と記しています.さらに,

心配の症状論が,ある程度の普遍性をもっている

とも記していますが,驚くことに初版から60年近く経っているにも関わらず,時代の流れに不変であろう考え方についてもストレートかつ端的に記述されていることが,この著書の大きな特色でもあります.

以下,内容について少しだけご紹介します.
基本的には,見開き2ページで一つの話題(以下,『』で記述されているものは,実際の章の名前)に絞って書かれています.
例えば,お母さんの悩みの種になる『乳がでない』という問題や『離乳』について,また我々を困らせる『夜泣き』などといった,まさに親目線で取り上げられることの多い事柄について,赤ちゃんはどう思っているのかという切り口で書かれています.
それ以外にも,『五十円玉をのむ』だったり,『ゼンソク』や『ヒキツケ』,『小児マヒ』など種々の病気への対処法や,それらを取り巻く家族と近隣住民の考えについて,対話形式で述べられています,

前述のように,出版から半世紀以上経っているので,文章の口調が古く多少の読みづらさがあり,病気に関しても時代遅れな記述が見受けられます.
ですが,

親が赤ちゃんにどう接するべきか,赤ちゃんの病気にどう向き合うべきか」

という角度から述べられている本が多数を占める中で,

「わたしたち赤ちゃんは,親のあなた方へこういうことを求めています.気付いていますか?」

と問いかけてくるのがとても新鮮で,何かと気付かされることが多かったです.
実際,本文中の

私はたえず自分の能力をためしているのだ.食卓の上にならんだソースのビンをたおすのも,コーヒー茶わんを投げてこわすのも,みな能力の試験だ.

 という文や,

ママは「イケマセン」と今まできいたことのないような声を出して私のおしりっぺたをピチャンとはたいた.私はいたいのよりも,ママのそういう無理解な態度を悲しんで泣いた.

などは,

「机の上にあるものを赤ちゃんが倒しても,それは能力の向上を示すものです.」

だったり,

「何度注意しても言うことを聞かないからといって,暴力をふるってはいけません.」

と書かれているよりも,心に訴えてきませんか?

覚えておきたい文章

以下では,私が忘れちゃいけないな,と思った文章の一部を抜粋しておきます:

赤ん坊が大きくなるまで「育児」をママにまかせておいて,都合のいい時をみて教育者として登場しようなどというのは虫のいいはなしだ.一〇〇パーセントたよりになる人物だという信頼感がなかったら,家庭教育などというものがうまくいくはずがない.

 

親のわるいくせだ.自分のほうでよくないことをやっていて,それをみんな赤ん坊がわるいためと考える.

 

おとなたちは,世の中に自分たちのほかに赤ん坊がいるということを忘れている.

 

子どもを大きくしていくものは,子どもをとりかこむ環境です.親もまた,この環境の一部でしかありません. 

おわりに

以上,『私は赤ちゃん』でした.
当たり前のことと思っていながらも忘れがちなことが数多く述べられているのは,上で見た通りです.
育児に熱中すればするほど,何かをやるにつけ,赤ちゃんのことを最優先に考えて行動しているのか,それとも,結局は自身の精神衛生を守るために必死になっているのか,の区別がつかなくなってくることもありますよね.
そんなときには,この本を見返してみて,赤ちゃんに叱られながら育児に励みたいと思います(笑).
一読の価値が必ずあります.
是非,手にとってみてください.

次回は,これの続きである『私は二歳』について纏めようと思います.

オムツ in the 洗濯機

皆さんは,洗濯機でオムツを洗ったことはありますか?


私はあります.
でも,ポリマーが暴発したのは今日が初めてでした.
そうです,私がやらかしたのです.
普段,下の子を風呂に入れるときには,ベビーベッドで全裸にし,服を洗濯機に投入します.
ところが!!!
何故か今日は,オムツを服で包んで洗濯機に Throw in!! Oh my God!!
そんなことには気もつかず,妻に呼ばれて洗濯機の蓋を開けてみたら...

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そこにはオムツが...!
さすがのメリ○ズでも,洗濯機の水量を吸水することはできなかったようです.
「どうすんだこれww」と思っていると,妻が対処法が載っているサイトを教えてくれました.

curama.jp

ということで,上の記事に従って,写真付きで対処法を紹介します.
結論から言えば,「洗濯機でオムツを洗っても恐るるに足らず」!!

1.衣類についたポリマーを振り落とす

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こんな感じにポリマーがくっついています.
まずは,落ち着いて衣類についたポリマーを振って落とします.
とてもブヨブヨしていて,触ると繊維に入り込んでしまいそうになるので,手ではたいたりはしませんでした.

2.洗濯槽内のポリマーを拭き取る

洗濯槽内はこんな感じ.

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キッチンペーパーで一通り拭いたあと,お尻拭きで全体を綺麗にしました.
溝に落ちたものは取れなかったので,諦めました(爪楊枝とかを使えば取れたと思いますが,手を抜きました).
ついでに,プチゴミ袋的なやつも取り外して掃除しましょう.
この中にもポリマーが少し入っていました.

3.衣類のすすぎ

先ほどポリマーを振り落とした衣類を,再度洗濯機に投入し,水洗いをします.
化学の知識がないので下手なことは言えないのですが,もし何らかの化学反応でポリマーが大変なことになると嫌なので,洗剤は使いませんでした.

4.干す

すすぎ終わった後の衣類と洗濯槽はこちら.

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綺麗バッチリ!!
溝にもポリマーは見つかりませんでした!!
というわけで,後は普段通り干すだけです.
乾燥機を使うと,取り残したポリマーが溶けたりなんだりするかもしれないので,安全を期してベランダに干しました.
乾燥すれば、見つからなかったポリマーがポロポロ落ちてくるかもしれないので,取り込むときは手で叩いてから取り込んでください.

5.ということで...

オムツを洗濯しても,ほとんど問題ありませんでした.
洗濯機も正常に動いていますし,洗濯物にポリマーはついていません.
ですが今回は,幸か不幸かSサイズのオムツです.
これがもしビッグサイズだったら,どうなっていたのか....
みなさんも,オムツの行方には十二分にご注意くださいませ.

下の子かわいくない症候群(4)

前回(下の子かわいくない症候群(3))からの続き:

chisuke0831.hatenablog.com 

なぜ追い詰められていたのか,その理由を前回述べました.
今回は,上の子ではなく下の子にストレスを感じていた原因,そして妻とのやりとりを書き残しておきます.

 

保育園について

前回述べた研究者に特殊な事情と絡めて,保育園についても述べておきたい.
研究職を大学に求める場合,基本的には場所を選ばない.
そもそも研究者として働ける場所が少なく,定年退職などでポストが空かない限り求人が出ないためである.
そして求人がいつ出るのかは,出す大学側にしか分からない.
よって,世界中どこへでも行くことを覚悟して,常に就職活動に取り組む必要がある.

私の場合,大変な良縁に恵まれ,学位取得直前の2月に,現在の職場から内定をいただくことができた.
当然,引越しを余儀なくされた.
ところがこのとき,以前住んでいた地域の保育園への入園が確定していたのである.
現在の職場から内定をいただけなかった場合,母校でポスドクとして雇ってもらう手はずを整えていたため,保育園に入所希望を申請しておいたのである.

さて,現在の職場へ移るとなったとき,妻と子どもも揃って転居することを決めた.
もちろん,妻は離職を余儀なくされた.
そのうえ,この時点で転居先での保育園の新規入所申し込みは締め切られており,一年間の自宅保育が確定したのである.
そして,妻の離職は,保育園に入所申請するための得点が大幅に削られることを意味する.
「保活」という言葉をご存知の方はお察しの通り,保育園の利用が絶望的となった.

そしてこのタイミングで第二子妊娠が発覚.
妻としては,二人目が産まれるまでは児童館などを活用して,保育園は利用しない方針で育児に取り組みたいとのことだった.

二人目が産まれてからは,上の子を一時利用で保育所に預けると決めた.
保育所の一時利用制度は,得点に関係なく週に最大3日間預けられることが分かっていたためである.
3日間あれば,これまでよりも仕事の時間が確保できる.
妻にとっても,慣れない土地ではあるけれど,リフレッシュする時間ができる.

こうした期待を胸に,我々夫婦は二人目が産まれた11月までを何とか乗り切った.
予定通り,一時利用制度を申請した.
ところが現実は,我々夫婦に対して厳しかった.
実際に上の子を保育所に預けられたのは,月に3日分のみである.

 

下の子を可愛く見えなかった理由

研究が全くもって進まないことに対する焦り,それに由来する将来への不安,仕事ができる環境ではないにも関わらずやらなければならないタスクがある切迫感,身内や話し相手がいない環境にいる悲しさ,我々の現状を理解(できるはずなのに)してくれない人への憤り.
上の子は,下の子を

「かーいい!かーいい!(訳:なにやだ,赤ちゃんかわいい!すごくすき!)」

と言いながら頭を撫でたりチューをしたりと大変愛でているその一方で,私の大人気無さ,ひとでなしさ,情けなさへの失望と幻滅.
色々な感情の渦に飲み込まれ,私は下の子に対する愛情の抱き方を見失っていた.
今思えば単純に,子どもは愛したいのに,育児までは愛せなかったからかもしれない.

もう一つ思っていたことがある.
それは,下の子の振る舞いに対する怒りである.
妻が毎日身を粉にして育児に取り組んでくれているのに,下の子はそれを全て無下にしていると感じてしまったのである.
誰にも頼ることができない環境で,子ども二人を家で見なければならない.
本当は上の子だけで一杯一杯であるはずなのに,普段は気丈に振る舞う妻.
そんな妻が二人目の育児で精神をすり減らして滅入っている姿を見たとき,私は下の子に対して

「何で妻をこんなにも痛めつけるんだ.許せない.こっちは二人精一杯やってるのに.毎日生活するだけでもギリギリなのに.泣くだけ泣いて後は寝るだけか.」

と思ってしまったのである.
赤ちゃんは泣いて寝るのが当たり前なのにも関わらずだ.
そうして負の感情が態度として現れ,「下の子がかわいくない」という心境に至ってしまった.

 

妻に打ち明けた後

以上のことを全て正直に妻へ打ち明けた.
妻は静かに私の話に耳を傾け,そして,

「あなたは本当によく頑張ってくれている.いつも感謝している.」

と言ってくれた.
この一言に本当に救われた.

その日以来,下の子を抱っこしながら話しかける時間を作ることにした.
最初は顔を見るだけで嫌悪感に近い感情を抱いてしまっていたのだが,不意に起きた生理的微笑を目にしたとき,ほんの少しだけ可愛く見えたことを強烈に覚えている.
今では,十分愛おしく思えるようになった.

私にとっての処方箋は,育児を共にする妻へ,正直に自分自身の感情を曝け出すことだった.
おかげで冷静になることができ,育児や今後について夫婦で話し合いをしてみると,結局のところ現状を打破するには,

「下の子が夜泣きしないようになるまで待つ,そして上の子を何かしらの方法で保育所に通所させないことには解決しない」

という結論に至った.
そうなると開き直ることができ,研究はそっちのけで育児に専念してやろうという気になる.

「まぁなんとかなるさ,どうせ何とかするんだから.逆境バッチコイ.」

という精神である.

長々と書いてしまったが,これで下の子かわいくない症候群に関する記事を終える.
誰の目に止まるかも分からないが,もし同じような境遇の方がいれば,育児に関して十分に取り組めていないこと,そして人として全く未熟であることが真の原因であることを棚に置き,環境と子どものせいにして現実逃避していた私を,是非反面教師にしていただきたい.
私も過去の自分を反面教師にし,子どもと共に成長しながら,そして妻への感謝を忘れずに,全力で育児に取り組む所存である.

育児関連で読んだ本など

最近,自宅で子どもを見ながらできることは,せいぜい本を読むことだと気づき,少しでも気になるものは購入して読む(積む)ようにしています.
時間があれば,タイトルにあるように,育児関連の本を読んだまとめを,備忘録代わりに記事にしようかな?なんて思ったりしています.

さて,個人的に本を購入する際に気をつけているポイントがあります.それは,

の5点です.以下,理由を述べます.

1.できる限り薄く簡単な本を選ぶ

薄いものであれば,短時間で読み終えられる場合が多いので,情報量の多そうな分厚いものは意識的に選ばないようにしています.
また,難しいものも選ばないようにしています.
というのも,毎日決まった時間に読書ができるわけではないからです.
少ない時間で読み終えられるようなものでないと,前回までの内容が思い出せないときもあり,結構げんなりします.
それに分厚いと読む気が途中で失せちゃうこともあるし....
そのため,薄いもので,できる限り簡単な内容である本を選ぶようにしています.
何事も,欲張り過ぎないことが大切ですよね.

2.新書を選ぶ

基本的にページ数が多くなく(大体200ページ程度),かつ入門的な内容が記述されているものが数多く出版されているためです.
そのため,新書なら自動的に 1.を満たしていることが多いです.

そもそも何で本を選ぶのか,というところから述べなければなりませんね.
私は,基本的にネット上に掲載されている文章や記事は,殆ど真面目に読みません(ほぼ全て懐疑的に読んでいます).
これは職業病かもしれませんが,例えば「〇〇は〇〇である.」という文を読んだとき,これは一般的にそう言われているのか,筆者の推測を主張するために断定口調で書いているのか,それとも科学的根拠に基づいて証明された事実を述べているのか,正しい引用が付されているのか,などが大変曖昧で,気になってしまいます(これは単に私の国語力の低さが原因かもしれないのですが....).
これに対して,出版された書籍には,少なくとも,専門家の査読が入り,さらに出版社による校正が入っています.
複数の厳しい目により修正され,上記の問題が限りなく無くなり,相応の完成度をもって世に出るわけですから,本で述べられていることは,自然と説得力をもちます(だからといって,全てが事実であるとも限りませんが...).
単純に,自身で事実かどうかを全て確認してはいられないので,その信頼を出版物に寄せるという甘えをしているわけです.
兎にも角にも,何か調べたいことがある場合には,必ず出版された本を読むことにしています.

3.電子書籍は購入しない

これは単純に,本として残しておけば,子どもがいつか興味をもって読んでくれるかもしれないからです.
父親の部屋に無断で入って,得体の知れない本を手に取ってみる....
なんかロマンがありませんか?笑
もしかしたら,人生を決めるような出会いがあるかもしれません.
また,日常的に本を読んでいる姿を見てもらえば,子どもも当たり前に読書の癖がつくかなぁ,とも思っています(そう上手くはいかないんでしょうけど...).
例えば,親が iPad をいじっている姿を子どもが見たとき,仕事をしているのか,遊んでいるのか,読書をしているのかは,パッと見ただけでは分からないですよね.
もしかしたら,子どもは腹の中で「どうせ親だってゲームしてるに違いない」なんて思っているかもしれません....
それに,誰か一人が端末を利用している時点で,他の人が書籍を読めなくなってしまいます.
その点,本を持っていれば,確実に読書をしていることが分かりますし,他の本も自由に誰かが読むことができます.
ですので,私としては電子書籍はNGです(便利なんですけどねー).

4.本は文房具だと思え

これは完全に『知的生産の技術』(梅棹忠夫岩波新書,1969年)と『理科系の読書術 -- インプットからアウトプットまでの28のヒント --』(鎌田浩毅,中公新書,2018年)からの影響を受けています.

知的生産の技術 (岩波新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

 

鎌田先生はその著書の中で,「本は思考の文房具」と述べられています.
私は,今まで本を出来るだけ綺麗に保管しておきたかったので,絶対に書き込みなどはしたくありませんでした.
しかし,

本は崇高なものでも貴重品でも,美術品でも何でもない.本を崇め奉ってしまっては,価値は十分に引きだすことができない.

の文章にハッとさせられました.
確かに,一番重要な「本から情報を引きだし,自分の血肉と化す」ことを軽視していたと気づかされました.
それからは,齊藤孝先生の著書『三色ボールペンで読む日本語』(角川文庫,2014年)に従って,重要な箇所は赤,やや重要そうな箇所は青,自身の興味に関する箇所を緑でラインを引くようにしました.

三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)

三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)

 

もちろん,メモも適宜記入しますし,他の本でも肯定的に述べられている箇所や,逆に批判的な意見が指摘されている箇所も,その本のタイトルとページを適宜記入し,クロスリファレンスができるようにしています(あとで写真を上げてみようかな...).

実は学生の時,指導教員から借りた本の中に,先生のメモや線が引いてあるのを見て,「先生は何が気になったのかなぁ,何に悩んだのかなぁ,何を重要だと思ったのかなぁ...」なんて楽しんでいた記憶があります.
子どもにもそんな体験してほしいな...なんてことも思っています.
もちろん,自身が読み直した時に,ラインの引いてあるところだけ読めば大体の内容を思い出せるようにしておきたいし,妻が読んだときに,時間がなくてもライン部分を追うだけで概要が分かるようにできていたら,お互い楽ですよね.

5.読書ノートをつける

本のタイトルと著者,購入日,読了日,そして 4. でラインを引いた中でも重要なセンテンスなどを記録しています.
私は,手帳などでよく知られている EDiT の読書ノートに記入しています.

edit-marks.jp読書ノートをつけようと思ったのは,自身が研究上,原稿などを書くときに,参考にしたいと思った言葉などをストックしておこうと思ったからです.
私は,暗記が大の苦手で,いつも「たしか似たようなことがあの本のどこかに書いてあったような...」っていう憶え方をしています.
読書ノートに書き込んでおけば探す手間を省けるし,自身の読書遍歴も残せるのも楽しそうだし,一石二鳥やんけ!と思って購入しました.
また,研究者同士の何気ない会話の中でも,聞いたことのない言葉だったり,有名な人の文を引用していたりするので,おバカさんな私は「なんだか皆,すごい物知りだなぁ,なーんも知らないや」と情けない思いをしていました....
つまりは,記憶力の無さと浅学がきっかけで読書ノートをつけることを決めた訳です.

実際の使用法ですが,まずは 4. に従って,ラインを引きながら本を一冊通して読みます.
その後,数日してから,ラインだけを追って読みます.
その中で重要なセンテンスとか,心に響いた言葉,考え方などを読書ノートに書き込んでいく,という使い方です.
これで本を2度読めたことになりますし,ふとしたときに読書ノートを見返すだけで,本を読まずとも重要なことを思い出すことができます(たぶん...).
最近は読書ノートに記入する時間があんまりないのですが....

こんな感じで,育児しながらの読書を楽しんでいます.
もし,この記事を読んでくださった方がいましたら,是非オススメの書籍をコメントいただけたら幸いです.