2児の年子をもつ新米数学者によるドタバタ育児日記

就職初年度で早くも2児の親になりました.予測不可能な人生って楽しいですね.

育児関連で読んだ本(1)

読んだ本について簡単に纏め,感想を公開しておくシリーズ第一弾です.
初回は,『私は赤ちゃん』(松田 道雄,岩波新書,1960年)です.

本の紹介

私は赤ちゃん (岩波新書)

私は赤ちゃん (岩波新書)

 

(上のリンク画像はKindle版ですが,私は書籍を2021年1月5日に購入しました.定価は780円+税.本文は189ページ.在庫はまだあるはず!).

この本の大きな特徴は,タイトルから察せられるように,産まれてから1歳半までの成長する「赤ちゃんの立場から親たちに注文する」形で,本文が記述されていることです.
著者である松田先生は,そのあとがきに

赤ちゃんを病気と考えてつれてきた親たちの心配は治療の対象になっていない.(中略.)親の心配の症状論のつもりで書いていった.

と記しています.さらに,

心配の症状論が,ある程度の普遍性をもっている

とも記していますが,驚くことに初版から60年近く経っているにも関わらず,時代の流れに不変であろう考え方についてもストレートかつ端的に記述されていることが,この著書の大きな特色でもあります.

以下,内容について少しだけご紹介します.
基本的には,見開き2ページで一つの話題(以下,『』で記述されているものは,実際の章の名前)に絞って書かれています.
例えば,お母さんの悩みの種になる『乳がでない』という問題や『離乳』について,また我々を困らせる『夜泣き』などといった,まさに親目線で取り上げられることの多い事柄について,赤ちゃんはどう思っているのかという切り口で書かれています.
それ以外にも,『五十円玉をのむ』だったり,『ゼンソク』や『ヒキツケ』,『小児マヒ』など種々の病気への対処法や,それらを取り巻く家族と近隣住民の考えについて,対話形式で述べられています,

前述のように,出版から半世紀以上経っているので,文章の口調が古く多少の読みづらさがあり,病気に関しても時代遅れな記述が見受けられます.
ですが,

親が赤ちゃんにどう接するべきか,赤ちゃんの病気にどう向き合うべきか」

という角度から述べられている本が多数を占める中で,

「わたしたち赤ちゃんは,親のあなた方へこういうことを求めています.気付いていますか?」

と問いかけてくるのがとても新鮮で,何かと気付かされることが多かったです.
実際,本文中の

私はたえず自分の能力をためしているのだ.食卓の上にならんだソースのビンをたおすのも,コーヒー茶わんを投げてこわすのも,みな能力の試験だ.

 という文や,

ママは「イケマセン」と今まできいたことのないような声を出して私のおしりっぺたをピチャンとはたいた.私はいたいのよりも,ママのそういう無理解な態度を悲しんで泣いた.

などは,

「机の上にあるものを赤ちゃんが倒しても,それは能力の向上を示すものです.」

だったり,

「何度注意しても言うことを聞かないからといって,暴力をふるってはいけません.」

と書かれているよりも,心に訴えてきませんか?

覚えておきたい文章

以下では,私が忘れちゃいけないな,と思った文章の一部を抜粋しておきます:

赤ん坊が大きくなるまで「育児」をママにまかせておいて,都合のいい時をみて教育者として登場しようなどというのは虫のいいはなしだ.一〇〇パーセントたよりになる人物だという信頼感がなかったら,家庭教育などというものがうまくいくはずがない.

 

親のわるいくせだ.自分のほうでよくないことをやっていて,それをみんな赤ん坊がわるいためと考える.

 

おとなたちは,世の中に自分たちのほかに赤ん坊がいるということを忘れている.

 

子どもを大きくしていくものは,子どもをとりかこむ環境です.親もまた,この環境の一部でしかありません. 

おわりに

以上,『私は赤ちゃん』でした.
当たり前のことと思っていながらも忘れがちなことが数多く述べられているのは,上で見た通りです.
育児に熱中すればするほど,何かをやるにつけ,赤ちゃんのことを最優先に考えて行動しているのか,それとも,結局は自身の精神衛生を守るために必死になっているのか,の区別がつかなくなってくることもありますよね.
そんなときには,この本を見返してみて,赤ちゃんに叱られながら育児に励みたいと思います(笑).
一読の価値が必ずあります.
是非,手にとってみてください.

次回は,これの続きである『私は二歳』について纏めようと思います.